院長・スタッフの紹介

院長紹介

院長元氣整骨鍼灸院 院長 桶谷義文

私は、競輪選手でした。小学校5年生のとき、父に連れられて行った広島競輪場、その時、初めて見た競輪選手の足の太さ、自転車のタイヤの細さ、すり鉢のような 走路、かっこよかった!瞬間、「これになりたい!」と思った...。中学3年で競輪用自転車を購入。
 3ヵ月後、競輪場で行われる大会にエントリー。斜めになったカーブが曲がれるか不安でしたが、思いっきりペダルを踏んでゴールすると30,6秒で優勝。
その後、高校へと進学、でも夢は競輪選手!高校なんか行っとる場合じゃない!...
当時、中卒で競輪学校の受験資格があったので、自然と高校に行かなくなり練習に明け暮れていました。
そんなある日、原付バイクに乗っていて事故に遭い、頭蓋骨骨折、脳挫傷で、意識不明の重体。
医師は「出来ることは全てやりました。」と両親に告げたそうです。
意識不明から4日後、奇跡が起きました。瞳孔が少しだけ動いたのです。
16歳という若さもあり、みるみる回復。しかし、3ヶ月間、入院している間に受験資格が高卒以上に変更されたのです。焦りました!進学するには出席日数が足りません!でも、迷わず「1年遅れで高校に行くことに決めました。
それから3年後、難関の競輪学校合格、この世界は、基本的に「自由」です。強くなる人も、弱い人も、全て自己責任です...。必死に練習に明け暮れ(200km以上の乗り込みは、当たり前)で気力も体力も充実してきた23歳。
最上級のS級に特進、これを機に結婚。さらに最上位のS級1班(40分の 1)に昇進、GⅢ高知記念競輪でも優勝し...。
院長イラスト 最高にやりがいのある仕事でしたが、38歳で15年間在籍したS級からA級に降級。また練習して、S級に復帰するつもりが、明らかに違っていました。「おかしい...」気持ちが焦りました。そして気付きました。
落車、失格を恐れていた自分に...。こんな心境では競輪は満足に走れない、いずれ次の人生を考えるようになり、そんな中、体を痛めて通った病院や治療院などに興味を抱くようになっていました。鍼灸師と柔道整復師は、国家資格で3年間、専門学校に行く必要がある。
その学校が広島にありません。吹っ切れないまま1年が過ぎた頃、広島に専門学校が出来るという情報が入りました。すぐに学校見学に行って、決めました。
その後、夫婦仲良く専門学校に入学。競輪選手をやりながらの3年間の学校は辛かったです。ですが何とか卒業し、国家試験にも無事合格。私は「柔道整復師」、女房は「鍼灸師」の資格を取得することができました。
いずれ、競輪選手になることを夢見る息子が、プロデビューするのを待って、平成20年6月、26年間の選手生活を引退し、生まれ育った安芸郡海田町で、平成20年7月、妻とともに『元氣整骨鍼灸院』を開設しました。

エキテン第一位

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